年明けてから昼間は子供がずっと隣の家に呼ばれて不在。僕1人。

投稿者: | 1月 4, 2020

新年明けましておめでとうございます。

隣の家に引っ越してきてから、
最初の年末年始の休みに入りました。

僕の会社では年末26日から年始の5日まで
長く休みに入りました。

そして、表題のとおり、
年始からずっと昼間は1人息子が呼ばれ、
同じく年末年始休みの姪(19歳)が戻ってきているから、

ということで妻も同じく明るい時間はずっと家にいません。
唯一のまとまった休みに僕だけ1人。

こういう時に毎回を思うのが、
なんで妻の母親は、家族3人で過ごさせようとしないのかということですね。

「お前はとくに遠慮しろ。やりすぎなんだよ。毎回」
毎度思うのがこれ。

全部価値観の押し通しであり、自分のやりたいことができないとすぐ牙を向きます。
3人で過ごしたいんだけどというと、「なんか文句でもあんのか?」と言われます。
まー、めんどくさいので言わないんですが。。。

とはいっても、呼ばれても僕が一切行かないということを、
逆に「こーへんねやったらもうええわ、知らん」という、
逆ギレでこういうことをしてくるのもわかってるのし、
こういうことをこの9年間してくるだろうなというのも予測済。

今回は正社員として働くことから、妻の妊娠まで話をしようと思います。

関東に引っ越し

ダブルワークをしていた時に、夜勤でバイトをしていた工場から社員登用の話を頂きました。

それまで、体力的なことが苦手だと思っていた自分が、
実は体を動かすことが好きだったこと、
そしてその時のバイトのメンバーが非常に信頼できる人たちであり、
精神年齢の低い自分が人間関係に苦労して今までやってきたのに、
人間関係までうまくいっていて、この会社で働いていわゆるピープルマネジメントをもっと身につけたいと思うようになります。

そこから、昼間のweb構築の仕事をやめ、社員登用の話を前向きに進めることにしました。
ただ、今いる場所で社員をやっても、既にある程度できあがっているので、
このままこの営業所で社員になるとちょっとマインドが腐ってしまうと思い、
社員になるなら新しい場所でお願いしたいと伝え、そして急遽関東での社員登用が決まります。

約1ヶ月程度で引っ越しとなります。実家とは違う県でしたが、そこから2年関東で働きました。

ただ、、、社員として働いて、自分が一番誰よりも動き、結果も出し、
そしてクライアント主催の改善発表会では、自らプレゼン資料を作って、
その常駐先の物流センター初の優勝に導いたということで、念願の優勝を勝ち取ったことで、
クライアントのセンター長と副センター長からもかなり信頼を得ることができたのですが、
結局は今考えるとただ叫んで怒鳴って人をまとめてる状態になり、
今自分が働けてるのは今しんどく力仕事してるアルバイトがいるおかげという意識は常にあったので、
決して天狗にはなっていませんでしたが、その先に不安を覚えることになります。
その時に東日本大震災も経験します。

そのあたりで妻の兄が離婚します。理由は妻の兄の浮気。
浮気と呼べる内容ではなかったというのが妻と妻の母親がその都度言っている言い方ですが、
妻の兄の元妻は相当ヒステリックになり、僕と妻が僕の社員登用と共に離れた後も、
その営業所で妻の兄は仕事していましたが、
どうも浮気相手がその後入った営業所のアルバイトの人だったらしく、
その営業所にもなにかしら影響があったようでした。

後々になって「なるほどな」と思いましたが、
当時何も妻の兄の状況の詳細を知らない僕の元に、
本社の部長が来て「お前の家大丈夫か?」とだけ言われた記憶があります。
この時何が起きたのかはまた別の機会に明かそうと思います。

そして、少しして結婚してから5,6年目になりましたが、
やっと妻が第一子を授かります。

もともと、子宝っていうのはあるべきタイミングで授かるという考えを僕も妻持っていたので、
年数は経ちましたがようやくという形です。

ただ、そこで頭によぎったのが、、、、都会では子育てしたくなかったということ。
やっぱり自然という環境の中で子育てしたいと思ったでした。

そして、本来なら僕の実家に戻ればよかったのですが、
自分がこんなに精神年齢が低かったり、物事に対して取り組みが遅く、
そして社会的に自覚をもった自発的行動ができないのは、
全て放任主義だった自分の両親のせいにしていたところもあり、
またいろんなことで考え方を身に着けてくれた、
それまで絶大に信頼していた妻の実家で育てることを決めます。

その時は、出産の時は妻も妻の実家の方が精神的に安心して出産に望めるだろうという考えもをあって、
関西に再び戻ることを決意します。

となると、会社にその旨伝えなければいけないのですが、
そもそも関東の事業部で自分でいうのもおこがましいですが、
事実として他の社員の中でも抜きん出てクライアントにもかなり気に入られていることもあり、
当時は僕自身が実質的に営業所の副所長であったこと、
所長は次期所長を僕にしようとしてくれてたこともあり、
容易には移動できないだろうと思い、
再び自分の力でwebサイト制作をしながらと夜勤のバイトをしながら、
今度は自分のwebサービスを立ち上げるということ決めます。

それこそ会社をやめるつもりでいましたが、全てを捨てれるほど度胸もなく、
降格で再び関西のバイトをしていた営業所で働けないかということを会社に相談したところ、、、、
社長が関西からわざわざに来て説得しに来ました。

社長には、自分の意思として、自分の将来や地位よりも子供の環境を考えたいということを伝えたところ、
もともとアルバイトでいたところに社員としての異動を提案してくれました。そして異動が決まります。

30になる前の段階で、再度関西に引っ越しし、
妻の兄家族がそれまで住んでいましたが、
離婚したことで妻と妻の兄の2人暮らしになっていたことも重なり、
経済的な面も考えて、今度は妻の実家でしばらくお世話になることになりました。

次回は、関西に再度引越し後、出産と転職までの話を書きます。

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